2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)
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『疲れない牧者になる秘訣 』 牧師コーナー(795)
疲れることなく、牧者としての奉仕を長く続けていくために、最も大切なことは何でしょうか?第一に、「自分は信徒牧会者である」という意識を持つことが大切です。ただ牧師の働きを手伝うということではなく、教会の働きの一部を担うというだけでもありません。自身が、主から羊を任されている「信徒牧会者」であるという意識を持つことが重要です。聖書では、魂をケアする働きは、信徒一人ひとりに与えられていると教えられています。ですが、歴史的には4世紀にコンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認したとき、牧会のすべての権限が聖職者のみに委ねられてしまいました。その結果、信徒は本来の奉仕を失ってしまったのです。それを取り戻すのが「家の教会」です。ですから、牧者として歩む私たちが、「主に任された信徒牧会者なのだ」という自覚を持つことが何より大切だと思います。
第二に、牧者の働きには明確な「目標」が必要です。ご存じのとおり、教会の存在目的は「魂の救いと弟子作り」です。これは地域教会だけでなく、牧場にも同じように当てはまります。なぜなら、牧場も教会の一部だからです。ですので、牧者の役割は単にメンバーを管理することではなく、「魂を救い、弟子を育てる」という目的を果たすことなのです。その明確な目標を持たずに働くと、バランスを取ることに必死な自転車のように、余計に疲れてしまいます。でも、自転車も前に進んでいれば倒れる心配はありません。目標に向かって進み続けていれば、自然と安定してくるのです。
第三に、「魂の救いの喜び」を味わうことが必要です。魂を救うということは、霊的な赤ちゃんを産むようなものです。それは肉体の出産とよく似ています。妊婦さんは9〜10ヶ月の間、苦しみや不調に耐え、場合によっては入院するほど大変な期間を過ごします。しかし、赤ちゃんが生まれた瞬間、それまでのすべての苦しみが一気に吹き飛びます。同じように、牧者として苦労して関わってきたVIP(未信者)の方が、イエス様を受け入れ、洗礼を受けるその瞬間に、まるで赤ちゃんを産んだときのような深い感動と喜びを味わうことができます。そして、「またやりたい」という新たな力が湧いてくるのです。
第四に、「天国の報いに希望を置くこと」です。霊的な赤ちゃんを産むということは、頻繁にあることではありません。でも、神様は私たちの実(成果)ではなく、「どれだけ忠実だったか」「どれほど誠実に仕えたか」を見ておられます。誠実さとは、約束をしたらそれを守ることです。ですから、私たちが「牧者として仕えます」と神様の前で約束したのであれば、たとえ実(成果)が見えなくても、人に評価されなくても、「私はこの場を守ります」という姿勢こそが、忠実さ・誠実さなのです。その誠実さが、目に見える実がなくても、牧者の働きを支えてくれます。
そして、何よりも大切なのは「神様との親しい関係を保ち続けること」です。みことばを黙想する時間や祈りの時間を決めて、日々神様と親しく交わる生活を送るなら、たとえ結果が見えなくても、失望したり落ち込んだりせずに、神様から与えられた希望と期待の中で、牧者の使命をまっとうすることができるようになります。
第二に、牧者の働きには明確な「目標」が必要です。ご存じのとおり、教会の存在目的は「魂の救いと弟子作り」です。これは地域教会だけでなく、牧場にも同じように当てはまります。なぜなら、牧場も教会の一部だからです。ですので、牧者の役割は単にメンバーを管理することではなく、「魂を救い、弟子を育てる」という目的を果たすことなのです。その明確な目標を持たずに働くと、バランスを取ることに必死な自転車のように、余計に疲れてしまいます。でも、自転車も前に進んでいれば倒れる心配はありません。目標に向かって進み続けていれば、自然と安定してくるのです。
第三に、「魂の救いの喜び」を味わうことが必要です。魂を救うということは、霊的な赤ちゃんを産むようなものです。それは肉体の出産とよく似ています。妊婦さんは9〜10ヶ月の間、苦しみや不調に耐え、場合によっては入院するほど大変な期間を過ごします。しかし、赤ちゃんが生まれた瞬間、それまでのすべての苦しみが一気に吹き飛びます。同じように、牧者として苦労して関わってきたVIP(未信者)の方が、イエス様を受け入れ、洗礼を受けるその瞬間に、まるで赤ちゃんを産んだときのような深い感動と喜びを味わうことができます。そして、「またやりたい」という新たな力が湧いてくるのです。
第四に、「天国の報いに希望を置くこと」です。霊的な赤ちゃんを産むということは、頻繁にあることではありません。でも、神様は私たちの実(成果)ではなく、「どれだけ忠実だったか」「どれほど誠実に仕えたか」を見ておられます。誠実さとは、約束をしたらそれを守ることです。ですから、私たちが「牧者として仕えます」と神様の前で約束したのであれば、たとえ実(成果)が見えなくても、人に評価されなくても、「私はこの場を守ります」という姿勢こそが、忠実さ・誠実さなのです。その誠実さが、目に見える実がなくても、牧者の働きを支えてくれます。
そして、何よりも大切なのは「神様との親しい関係を保ち続けること」です。みことばを黙想する時間や祈りの時間を決めて、日々神様と親しく交わる生活を送るなら、たとえ結果が見えなくても、失望したり落ち込んだりせずに、神様から与えられた希望と期待の中で、牧者の使命をまっとうすることができるようになります。
趙 南洙師